自己紹介

満月です。

改めて自己紹介の必要性があるのかとも考えはした。

だが、こちらのサイトで初めて読まれる方も増えるだろうから、自己紹介を改めてする。

 

俺は今、50代の独身で、家族も身寄りもない。

不動産屋の社長の妾の子として生を受けた。

子供の頃は何不自由の無い生活を送り、思春期に音楽に興味を持つ。

当時のお気に入りは、キッス、クイーン、ディープパープル、バンへイレン、イーグルス、などだった。主に洋楽の方が気になった。

高校生になって進学校に行っていたにも関わらず、俺は四川料理やで皿洗いのバイトを始めた。

当時の洗剤は、ヒトの手のことまで気にしなかったので、洗剤負けが酷かったことを覚えている。

貯めた金で俺は、ギターやアンプ、その他の機材、教本、レコードなどを、買い捲り、熱心に練習した。

大学にはエスカレーター式に入学できた。

法学部か経済学部下の選択を迫られ、俺は、経済学部を選んだ。当時俺の周りには、法律を武器として

世間を渡ることのほうが、後々の収入に差が出ることを、アドバイスしてくれる者は居なかった。

将来何かしらの形で独立するのには、経済学部産業経営学科の方が、楽そうに思えた。

大学に入って俺は何を学んだかと言えば、麻雀と競馬と酒である。。

バイトにはデパ地下のフルーツやを選んだ。

出勤時にはブレザーを着て、タイを結び大人になった気がした。しかし、怠惰な大学生活に疑問も持っていた。

当時の仲のいい、友人が、新しいバイトの話を持ってきた。

ホテルの結婚式のウエイターの話である。時給が、ものすごくいい。俺は、話に乗った。

当時親父の仕事が上手くいかなくなり、俺たち、親子は、下町の広めのアパートに移る。

お袋は、大手電気会社の寮の賄いの仕事に就き、土日だけ、俺のアパートに帰ってきた。。

俺は大学2年の秋に中退することを決めた。

そして、バイトしていたホテルの宴会場の仕事にそのまま就く。プロに成った。

アマチュアだった俺は、いきなり管理職となる。

20そこそこの若造が、40人もの従業員を容易に束ねることは出来ない。。

出来損ないの管理職だった俺は、古くから居るネェサン達に支えられて、いっぱしになった。

いいか、柴田!細かいことは全部私達がやる。あんたは、私達が働きやすい環境を作りなさい!

それがオマエの一番大事な仕事だよ。。

2年も経つと、俺はドル箱である、大宴会場の責任者になった。

200人の結婚式、400人の立食パーティー、大きな会議、カンファレンスの担当者となった。

その後、俺は日本橋高島屋近くのフランス料理やから始まって、新宿の大きな居酒屋、日本酒の専門店、

カラオケ屋のチェーン店の料理長などを、こなしていく。

履歴書を持って、面接に行ったことがない。

俺の新しい職場は、ヘッドハンティングで決まった。

最高で80万の給料を貰ったこともある。。

この頃、お袋に事件が起きた。

同窓会に出掛けた、三重のホテルのロビーで大理石のフロアで足を滑らし、膝を壊した。

東京に戻り、医者に通う、手術も2回した。

どんどんと悪くなり、車椅子なしでは生活出来なくなった。

当時のマンションでは、車椅子で生活は出来なかったので、必然的に入院生活と為る。

その後、パーキンソン病やら、アルツハイマーやらのおまけが付く。

俺の貯金である800万は2年ちょっとで、溶けた。

自身の店を出す為に貯めていた金だ。それが、ゼロに為った。。

バイトと博打で自身の生活費と、入院費用を捻出する必要が、あった。

この頃、お袋は余程強い薬をぶっこまれていたのだろう。。

電話を掛けても、看護婦がもう、電話に答えられる状況にありませんとの回答が返ってくる。

以降、俺は電話をしていないし、逢いに行ってもいない。。

東京都の援助を受けるようになって、移った施設は、武蔵五日市にある。

立川からして、1時間以上掛かる。往復と面会時間を加味すれば、交通費も5000円では済まない。

仮に行っても俺のことを識別できないそうだ。。

俺は諦めた。

せめて、葬式代くらい出してやりたいと考え、俺は、とっぱらいでギャラのいい仕事就く。

そこで、俺自身は事故にあう。

どんな事故かは、別の機会に話す。

くるぶしと膝にボルトが入る。右のあばらもヒビだらけだし、顎には螺子が2本入る重症だった。

実に7ヶ月入院したが、まだ、満足に歩けはしない。。そもそも、体力がすこぶる落ちたせいだ

退院したおれはその脚で、渋谷区役所に行く。

俺は、俺が知らない間に生活保護の管理下になっていた。

退院する前2~3週間前に初めて、担当者から電話を貰う。

退院したら、まっすぐ渋谷区役所に来るようにと。。

くるも何もそもそも、俺は服を持っていなかった。。

退院する時、看護婦さん達が、余った服をくれた。俺が事故当時着ていた服は、無くなっていたからだ。

恐らく、手術の前にはさみか何かで切られ着れなくなったからであろう。。

ぶかぶかのだっさい服で俺は、渋谷に行った。

何枚かの用紙にサインをさせられ、判子がいるから、100円ショップで買って来いと言われた。

往復20分のその距離が苦しい。ひーひー言いながら、区役所に戻って、必要なとこに判を押した。

これからの住まいは池袋の寮だ、と聞かされて、無料パスを貰って、それで、行く。

長々と説明を受け、これからベッドに案内すると言われた。。あ?なんじゃ?ベッドって?

エレベーターで2Fに行ってみて、全てが判る。。

2段ベッドの下の段だけが俺のスペースで、服なんかもその中にしまえだと。。。

タコ部屋じゃねぇか。。。日に3度弁当が出る。お茶も洗濯石鹸も、歯磨きも、下着も、心配ない。

全て、お金は掛からないからね。。と言われた。持っていた、僅かな金の中から、月末までの寮費を払う。

月の初めには、生活保護費が出るから、その後の寮費は、その中から払ってね。と言われた。

11月28日に退院したのだから、3日かソコラで初めての生活保護費を受け取る。

もっとも受け取ったのは俺ではない。その寮の寮長だ。そして、寮長から現金書留を受け取り、開封して、中を

確認して、その場で、料金を払わされるシステムだ。10万7千円だと。。

保護費の支給額は11万4千円位だ。つまり、手元に7000円位しかのこらんではないの。。

これには驚いた。何だよ、タバコも買えないんじゃねぇか!

区役所にある生活保護のブースに職業斡旋の場所がある。そこに、直ぐ行った。

働かねば。。。此処は民間の企業がやっている。事情を細かく話し、就業を斡旋してもらった。

しかし、問題が出てくる。

寮の門限に間に合わない就業を禁ずる。だと。池袋の寮は門限が5時だ。夕方の五時だ。

では何故、門限が5時なのか?それは手前らが6時に返る為だそうだ。。俺は担当ケースワーカーに話に行った。

5時に帰ってこれる仕事など一体全体どこにある?おかしくないか、このルールは?問いただした。

返ってきた答えはこれだ。

生活保護を受けるにはルールがあります。。。5時までに帰ってこれる仕事は一杯有ります。そういう仕事を探してください。こう、言われた。

頭に血が上った。カウンターを乗り越えて、くびねっこをしっかり掴みこめかみだけを集中的に殴り、警察が来るまでの間に、こいつをかたわにしてやりたいと強く思った。

しかし、辛抱した。まだ、満足に歩けないのだ。元に戻るまでおとなしくしていよう。。。

その足で、就労支援のとこにいく、話すと、ステップアップの段階を踏みましょう。。

一日2時間だけ働けるマンションのゴミ掃除の仕事を紹介された。俺は従った。簡単な面接の後、採用が決まる。

8階建てのマンションで俺の体力は少しずつ戻る。

しかし、タコ部屋でまた新たなる問題が出た。住民票を移してはいけない、などとほざかれた。

満足なところでは働けないじゃないの?銀行口座が作れないじゃない。。。

2月に中野の寮に移った。前よりはゆるやかなところだったが、あれこれと五月蝿いことは五月蝿い。

しかし、俺はチャンスを待った。

ある時、メシを削って貯めた金が10万円に為った頃、俺は、次のステップを踏んだ。

大学病院とのダブルワークである。又しても就労支援課のお世話に為り、仕事を貰った。

歩けるようになった、俺は、長時間働いた。時給950円でも一月で17万を超えるようになった。

一月めに突然電話が掛かってきた。区役所からである。。

もう、寮に居られる収入を超えたので、引っ越して、アパートを借りなさい。である。

現在の渋谷にアパートなぞ、ない。老朽化したマンションばかりだ。その中で俺はベストの選択をした。

生活保護が渋谷区だと余所の区には引っ越せないそうだ。

大学病院の仕事にフルタイムではいる。2月に今の住まいに移った。経費は区役所持ちである。

久しぶりの自立が始まるが、生活に必要な家電は持っていない。。。

大学病院での仕事の幼稚さと人間関係と、給料の安さについていけない。。

俺は、現在のお弁当屋に仕事を移した。そして、キャンペーン中のワイハイでおまけのパソコンを手に入れた。

最初の1ヶ月はユーチューブを観まくった。

そして、この7月俺の体に異変が走る。

検査は高くて出来なかったが病名はうつ病だそうだ。

俺は、最悪、入院しても、収入が得られることは一体何かを熟考した。

無一文で出来ること、それも病院おベッドの上で。。。

答えは出た。

アンケートと、ブログのアフリエイトだと。。

最初にこさえたサイトはある、メルマガの指示に従った。俺なりのアレンジを当然加えた。何故か?

全てに従えなかったからだ。。書きながらもいくつかの疑問と不満を持った。。。

次のステップを踏もう。。こう考えても不思議は無い。

俺はエックスサーバーと契約を結び、多くのブロガー達が使っているワードプレスをインストールした。

俺は、メカ音痴だ。だが少しづつブログが完成しつつある。

ヒトが困ったときに為に為る記事は書けるかどうかは判らない。。

今回のカテゴリーは日記を止め、エンタテイメントとした。

お客さんの8割はパソコンから詠む。

俺の狙いは当たった。腰を据えて読み物として観てらっしゃるのさ。

サイト名には当然、拘る。

最初のサイトのタイトルはなんじゃ?こいつ?なに書くの?その辺の狙いがあった。

今回は、俺が満月であることに拘った。

満月 別館 渋谷店 そして、こっちがメインのサイトと為る。。

今回はちゃんとした利益が出るようにしたい。

でないと、その次のサイトが立ち上げられないからだ。

実は、ドロップシッピングとかにも興味が無かったわけではない。。

だが俺自身が欲しくも無い物を安いからと言って、乗っける訳にはいかぬ。

儲かんなきゃ始まらないじゃない?そんな声も聴いた。

ブログからお買い物はしない。。そんな事も聴いた。

させて見せようじゃないの。。

自身が納得したものしか、乗っけない。それが俺の信用じゃないの。。

長すぎるって?

そんな方はウチには向かない。。

信用に値するサイトを構築していく。

頑張るからね。

柴田満月

 

 

 

公開日:
最終更新日:2017/09/20